通夜


穏やかな顔で眠っていた。以下、友人に当てたメールから抜粋。


私の祖母の一生は、本当に苦労の連続で、体調を崩して、一時危篤に陥った時から、私の中では、彼女にとっての幸せって何だったんだろうと考えさせられました。当時の状態では、人の認識もできず、もう聞くこともできなかったので、今となっては、知ることもできません。


在りし日の彼女の姿を思い浮かべると、分厚い眼鏡をかけ、腰は曲がり、常にニコニコしているイメージしかありません。以前、田舎にいる時に、若かりし頃の祖母の姿が載っている写真を見たことがあるのですが、実の息子である父でさえそれが祖母であることがわからず、それが祖母の姿であることを知った時に驚いていました。


若かりし頃の祖母は、本当に驚くほどの美人で綺麗な人でした。それがいろいろと苦労するうちに、見る影もなくなるほど変わり果てた姿になっていったのでしょう。


祖母は、信仰深い人で、生前から通夜、葬儀をとりおこなったお坊さんと親交があったらしく、お坊さんが祖母のことをこうおっしゃっていました。


「自分が苦労した分だけ他人には優しく接していた人だった」


私は、この言葉を聞いた時に、確かにそうだったと思うと共に、祖母は、その生き様から私達に重要なことを教えてくれたような気がします。私は、まだ、このような境地にはとうてい及びませんが、事ある毎に祖母の姿を思い出し、祖母のような人になれるように努力していきたいと思っています。


祖母は、亡くなったわけですが、不思議と私は悲しくはありません。というのも、一つは、一時危篤状態の時に、ある程度覚悟ができていたこともありますが、祖母は、この世で苦労した分、あの世では、昔の美しい姿に戻り、幸せに暮らすだろうと思っているからです。